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第76回 正倉院展 レビュー 奈良国立博物館

 

 今年で第76回を迎える、古都奈良の・秋の風物詩ともいえる正倉院展が始まりました(11月11日まで)。

 正倉院宝物は、奈良時代にこの国を治めた聖武天皇のご遺愛品を中心とした、天平文化の粋を伝える貴重な宝物群です。これらはかつて東大寺の重要な資材を保管する倉であった正倉院正倉に納められ、勅封などの厳重な管理のもとに今日まで守り伝えられてきました。

 今年は聖武天皇の御即位1300年にあたる記念の年ですが、今年の展示も調度品や服飾品、仏具、文書といった、正倉院宝物の多彩な世界を堪能できる展示品で埋め尽くされています。なかでも、「紫地鳳形錦御軾」(錦張りの肘おき)は、聖武天皇がお使いになった品として別格の意義をもつ至宝です。また、色ガラス製の装身具や、正倉院では唯一の七宝装飾を施した鏡など、色とりどりのガラスの宝物が、私たちの目を楽しませてくれます。さらに今年は、宮内庁正倉院事務所が監修した宝物の再現模造も多数展示され、正倉院宝物をより深く楽しみ親しむことのできる内容となっています。ぜひとも、ゆっくりと鑑賞しお楽しみいただける内容だと思います。

 

【正倉院とは】

 正倉院はもと東大寺の正倉で、奈良時代の741年から750年ごろにかけて建立されたと考えられています。三角形の木材を組み上げた校倉造(あぜくたづくり)の建築で、北、中央、南の3部屋に分かれ、それぞれ北倉、中倉、南倉と呼ばれています。本来「正倉」とは穀物などを収納する倉をいいますが、東大寺の正倉院には奈良時代より宝物が納められ、天皇の封(勅封)や東大寺の管理のもと開閉は厳しく制限され、宝物が守られてきました。現在では宮内庁正倉院事務所が管理しています。

 

【正倉院宝物とは】

 正倉院には様々な宝物が納められたと考えられますが、大きくは、①天平勝宝8歳(756)6月21日以降5回にわたり、光明皇后によって東大寺の大仏に献納された聖武天皇の遺愛の品、②東大寺での法要にまつわる品々、⓷造東大寺司(東大寺の造営に当たった機関)に関連する品々ーに分類することができます。このうち①は、正倉院宝物の中心をなす一群(献納宝物)で、正倉院宝物が成立する契機となったとりわけ重要な品々です。②は、天平勝宝4年(752)4月9日に行われた大仏開眼会など東大寺の法要で使用された供養具や荘厳具、伎楽の装束や楽器類、皇族や貴族からの献納品などで構成されます。③には、造東大寺司で使われた加工材料や工具、作業者の衣服、また、所管の写経所で業務遂行のために作成された文書などが含まれます。他に宮中儀式具や武器・武具なども残っており、宝物の入庫には様々ないきさつがあったことが推定されます。

 

【宝物の数と時代・国籍】

 今日に宝物の件数は約9000件とされています(件は一組の品物をひと括りにして一件と数える数え方)。宝物のうち95パーセントほどは奈良時代の日本で製作されたと考えられますが、中国・唐や朝鮮半島・統一新羅など同時代の東アジア諸国からの舶載品や、ササン朝ペルシアや東南アジア諸国から唐を経由してもたらされた品も見ることができます。

 大半の宝物は製作された時代はおよそ8世紀と考えられます(一部に7世紀以前や9世紀以降のものも見られます)。

 

 

【正倉院展とは】

 正倉院では毎年秋に勅封が解かれ、宝物の点検が行われます。その時期に合わせて宝物を一般に公開する正倉院展が開催されます。出陳宝物の選定は宝物の全体像が分かるように配慮しつつ、最新の研究成果を反映した品や話題性のある品が選ばれています。正倉院展は昭和21年(1946)に第1回が奈良帝室博物館で開催され、その後東京で行われた3回(昭和24年、34年、56年)を除き、毎年、奈良で開催されています。

 

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『国家珍宝帳』とは

聖武天皇の四十九日にあたる天平勝宝八歳(756)六月二十一日、天皇のご遺愛品が光明皇后によって東大寺大仏に奉納されました。『国家珍宝帳』はその献納品の目録で、冒頭に「太上天皇(聖武天皇)の奉為に、国家の珍宝等を指して東大寺に入るるの願文」とあります。

内容は、願文に続き、御袈裟を筆頭とする宝物目録があり、最後に再び願文を記して、聖武天皇の御霊仏の世界へ赴くことが願われています。全面に「天皇御璽」の印を押し、全長は15m近くにおよぶもので、現在では失われた宝物を知る上でも最も重要な史料です。

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第1章 正倉院のはじまり

 

 

天平勝宝八歳(756)6月21日、聖武天皇が崩御されてから四十九日に当たる日、后である光明皇后は、天皇ご遺愛の宝物六百数十点と貴重な薬物を献納されました。

その内容は楽器や武器、宮中の調度など多岐にわたっており、『国家珍宝帳』や『種々薬帳』というリストとともの、天皇の御霊が早く仏の世界へ赴くことを願って正倉院の北倉に納められました。

 

 

 

「花鳥背円鏡 附 帯」銅製 鋳造 中国・唐(八世紀)北倉
「花鳥背円鏡 附 帯」銅製 鋳造 中国・唐(八世紀)北倉
紙箋
紙箋
「漆皮箱」皮製 麻布 黒漆塗 奈良時代(八世紀)北倉
「漆皮箱」皮製 麻布 黒漆塗 奈良時代(八世紀)北倉
帯

(左)「花鳥背円鏡 附 帯」 帯(下左)紙箋(下右)  北倉

    (花鳥文様の鏡)  銅製 鋳造  中国・唐(八世紀)

北倉に伝わる聖武天皇ゆかりの鏡。背面の紐(中央のつまみ)の周りに、花枝文を六つ巡らせる。花枝の間からは雲が沸き上がり、天界の植物かのようであある。光学調査の結果、中国・唐で製作された鏡と推定される。

(右)漆皮箱(革製漆塗りの鏡箱)  皮製 麻布 黒漆塗  奈良時代(八世紀) 北倉

 

花鳥背円鏡を収納するための円形の箱。動物の皮を成形し、形状を保持するために一部布着せをした上で、表面を黒漆を塗り仕上げる。箱の内部には、色鮮やかな八稜唐花文赤綾を張った内張(中敷き)が備わる。

 

「新羅琴 附 琴柱」 木製 截金 奈良時代(八世紀) 北倉
「新羅琴 附 琴柱」 木製 截金 奈良時代(八世紀) 北倉

「新羅琴 附 琴柱」(朝鮮半島由来の絃楽器)  木製 截金  奈良時代(八世紀) 北倉

一方の端を半耳形につくる十二絃の楽器。聖武天皇の遺愛の品として正倉院に納められた新羅琴が弘仁十四年(823)に取り出され、その代わりにこの琴が納められた。表面に金箔を細かく切った截金文様を華麗にあしらう。

 

「延暦六年六月二十六日  曝涼使解」 紙本墨書 奈良時代・延暦六年(787) 北倉
「延暦六年六月二十六日 曝涼使解」 紙本墨書 奈良時代・延暦六年(787) 北倉

「延暦六年六月二十六日  曝涼使解」(宝物の点検記録)  紙本墨書  奈良時代・延暦六年(787)  北倉

延暦六年(787)に北倉の宝物の曝涼(風通し・虫干し)が行われた際の点検記録。光明皇后が献納した宝物の目録に沿って、すでに出蔵された宝物、減った薬物の量、新たに入滅していた宝物を記録している。

 

「花氈」 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀) 北倉
「花氈」 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀) 北倉

「花氈」(花模様のフェルトの敷物) 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀)  北倉

ほぼ正方形をした小型の花氈。前面にわたって淡褐色の花枝文が表わされ、細かく濃密な文様構成である。裏面の四隅に「東大寺」印が押しており、法要に使われたようである。

 

「鹿草木來纈屏風」 絹製 來纈染 奈良時代(八世紀)北倉
「鹿草木來纈屏風」 絹製 來纈染 奈良時代(八世紀)北倉
「花氈」 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀) 北倉
「花氈」 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀) 北倉

「花氈」(花模様のフェルトの敷物) 羊毛製 染物 中国・唐または中央アジア(八世紀) 北倉

羊毛を圧縮して作るフェルトの敷物のうち、特に文様を表したものを花氈と呼ぶ。藍染めフェルトを切り抜き並べた揺らぎある表現が大らかでありつつ、可憐な印象を与える。シルクロードを通じた国際交流の存在を示す宝物。

 

「鹿草木來纈屏風」(板じめ染めの屏風) 絹製 來纈染 奈良時代(八世紀) 北倉

『国家珍宝帳』に記載された屏風。聖武天皇の冥福を祈って大仏へ献納された。樹木のもと二頭の鹿が草花をはさんで向かい合う図柄は、版木で裂地を挟み、染色液を注入する來纈織という染色技法で表されている。


「紫地鳳形錦御軾」(錦張りの肘おき) 絹製 緯錦 奈良時代(八世紀) 北倉

前面を綿で仕立てた豪華な肘おき。『国家珍宝帳』記載の聖武天皇遺愛の品である。堂々とした鳳凰の姿は、西アジア由来の動物円文が唐代芸術の様式に変化したもので、紫を基調とした配色も天皇の持ち物に相応しく格調高い。

 

初出展 「模造 紫地鳳形錦御軾」(紫地鳳形錦御軾の再現模造) 絹製 緯錦 令和五年(2023)度

宮内庁正倉院事務所の事業によって製作された御軾の模造。原宝物の構造を忠実に再現したもので、マコモの束を藺筵で巻き、上面に絹綿を詰めた後、麻布で包み、表面に綿が貼られている。

 


 

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第2章 煌めきの調度

 

 

 今回の正倉院展では、特にガラスを用いた宝物が目を惹きます。土に埋もれることなく伝えられた正倉院のガラスは、製作時の輝きを伝える稀有の存在です。

 ガラスを焼き付ける七宝という技法で装飾された古代の鏡としては、唯一の作例である黄金瑠璃鈿師背十二稜鏡や、色とりどりの可愛らしいガラス製の魚形など、奈良時代の人々を魅了したガラス文化を伝える遺品を伝える遺品をご覧いただきます。

 また本章ではガラス製作について 記した造仏所作物帳や、ガラスの原料ともなった丹、瑠璃玉原料など、ガラス製作に関わる資料もご紹介します。

 


「紅牙撥鏤尺」(染め象牙のものさし) 象牙製 中国・唐または奈良時代(八世紀) 中倉

象牙の表面全体を臙脂で赤く染め、鳥や鹿、建物などの模様を彫り表した上で色を加え彩っている。中国・唐では皇帝が臣下にものさしを与える儀礼があったことが知られ、そうした儀礼のために用意された品と考えられる。

 

「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」 銀製 銀板に七宝釉と鍍金・金板貼付 奈良時代もしくは中国・唐ないし朝鮮半島・統一新羅(八世紀) 南倉
「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」 銀製 銀板に七宝釉と鍍金・金板貼付 奈良時代もしくは中国・唐ないし朝鮮半島・統一新羅(八世紀) 南倉

 

 

「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」(七宝細工の鏡) 銀製 銀板に七宝釉と鍍金・金板貼付 奈良時代もしくは中国・唐ないし朝鮮半島・統一新羅(八世紀) 南倉

古代の七宝細工の傑作。花弁は一枚ずつ別作りで、緑・深緑・黄色の鉛ガラスを焼き付けた後、鏡本体の上に貼り付ける。すきまに貼られた純金の薄板が豪華さを引き立てる。正倉院ならではの良好な保存状態で、世界唯一の遺品。

 

 

 

 


続修正倉院古文書〔造仏所作物帳〕 第三十四巻 紙本墨書 奈良時代 天平六年(734) 中倉
続修正倉院古文書〔造仏所作物帳〕 第三十四巻 紙本墨書 奈良時代 天平六年(734) 中倉

続修正倉院古文書〔造仏所作物帳〕 第三十四巻(興福寺西金堂の造営に関する文書) 紙本墨書 奈良時代 天平六年(734) 中倉

光明皇后が母の冥福を祈り建立した、興福寺西金堂の造営に関する文書。皇后宮職に所領した造仏所の製作物を報告している。堂内の飾りに使用された、色とりどりのガラス玉の種類、材料などを詳細に記した部分もある。

 

初出陳 丹 鉛丹 紙 奈良時代(八世紀) 北倉
初出陳 丹 鉛丹 紙 奈良時代(八世紀) 北倉

初出陳 丹(鉛の赤い粉) 鉛丹 紙 奈良時代(八世紀) 北倉

酸化鉛の粉末。鉛ガラスの原料や釉薬、彩色の顔料として用いられた。東大寺の造営を担った造東大寺司にかつては保管されていたのだろう。包紙は不要になった文書を再利用したもので、古代史の研究資料ちしても注目される。

 

「深緑瑠璃魚形・浅緑瑠璃魚形・碧瑠璃魚形・黄瑠璃魚形」 ガラス製 奈良時代(八世紀) 中倉
「深緑瑠璃魚形・浅緑瑠璃魚形・碧瑠璃魚形・黄瑠璃魚形」 ガラス製 奈良時代(八世紀) 中倉

「深緑瑠璃魚形・浅緑瑠璃魚形・碧瑠璃魚形・黄瑠璃魚形」(ガラス製の魚形飾り) ガラス製 奈良時代(八世紀) 中倉

ガラスの魚形アクセサリー。鋳型を使わず、色ガラスの塊から削り出された。古代中国で使われた魚形の割符(通行証)にならい、貴族や高位の役人が腰帯から吊り下げていたと考えられる。

 

    漆皮八角鏡箱 革製 麻布 漆塗 金銀泥 奈良時代(八世紀) 南倉
漆皮八角鏡箱 革製 麻布 漆塗 金銀泥 奈良時代(八世紀) 南倉

漆皮八角鏡箱(革製漆塗りの鏡箱) 革製 麻布 漆塗 金銀泥 奈良時代(八世紀) 南倉

牛革を成形し、表面に黒漆を塗った箱。明治時代の調査の時点で、黄金瑠璃鈿背十二稜鏡が納められていた。表面には金銀泥で鳥や食物などの文様が生き生きと描かれる。全体の黒い色調のなかで金銀の輝きが映え渡る、優美な趣の逸品。

 

 

 

碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺 ガラス製 紐は絹製 奈良時代(八世紀) 中倉
碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺 ガラス製 紐は絹製 奈良時代(八世紀) 中倉

碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺(ガラス製のものさし形飾り) ガラス製 紐は絹製 奈良時代(八世紀) 中倉

色ガラスの塊から削り出された小さなものさし。緑色には金泥で、黄色には銀泥で目盛りが描かれる。実用品でなく、高位の人物が、腰帯から吊り下げたアクセサリーとみられる。

 

 

「模造 緑瑠璃小尺」 ガラス製 令和四年(2022)度
「模造 緑瑠璃小尺」 ガラス製 令和四年(2022)度

「模造 緑瑠璃小尺」(碧瑠璃小尺の再現模造) ガラス製 令和四年(2022)度

原品から想定される奈良時代の製作手順を考証して再現した模造品。色味の再現などに試行錯誤が重ねられた。当時の技法では一週間近く必要だったと推定されている。

 


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第3章 楽舞の華やぎ

 

 

 

 天平勝宝四年(752)に行われた大仏開眼会をはじめ、東大寺関係の法要では日本の伝統音楽のほか、古代中国や朝鮮半島、東南アジアに由来する楽舞が、仏を讃えるために捧げられていました。その場で用いられた木製の伎楽面や織物製の装束類など、繊細な素材で作られ、また限られた機会にしか用いられなかったものが、およそ千三百年を経た今日も正倉院に伝えられているのは世界的にも極めて稀なことです。

 本章では、残された楽舞関係の宝物を通じ、歴史の中で改変し、あるいは消滅していった古代楽舞の世界に思いを馳せてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伎楽面 酔胡王」 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉
「伎楽面 酔胡王」 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉

「伎楽面 酔胡王」(楽舞の面) 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉

酔胡王は酔った胡人(西方の異国人)の王のこと。見開いた眼と高い鼻の顔立ちに酔った赤ら顔を示し、背の高い冠帽をかぶる。頬骨が張った顔つきが特徴的で、正倉院には同じ作風の面が他に七面ある。

 

「伎楽面 迦楼羅」 木製 彩色 漆塗 奈良時代(八世紀) 南倉
「伎楽面 迦楼羅」 木製 彩色 漆塗 奈良時代(八世紀) 南倉

「伎楽面 迦楼羅」(楽舞用の面) 木製 彩色 漆塗 奈良時代(八世紀) 南倉

迦楼羅はインドの古代神話に登場する霊鳥ガルダに由来し、仏教にも取り入れられたが、伎楽では虫をついばむような所作を演じた。目を吊り上げ眉根を寄せた険しい表情に、霊鳥としての威厳が示される。

 

 

初出陳「貫頭布衫」 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉
初出陳「貫頭布衫」 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉

初出陳「貫頭布衫」(麻布の肌着) 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉

衫は、今日のシャツにあたる下着。衣の右肩表裏の銘文から東大寺の大仏開眼会で使用された度羅楽の久太舞の衣装とわかる。度羅楽は、度羅という異国発祥の楽舞とされるが、その具体的な内容は明らかでない。

 

「伎楽面 酔胡従」 木製 漆塗 彩色 馬毛 奈良時代(八世紀) 南倉
「伎楽面 酔胡従」 木製 漆塗 彩色 馬毛 奈良時代(八世紀) 南倉

「伎楽面 酔胡従」(楽舞用の面) 木製 漆塗 彩色 馬毛 奈良時代(八世紀) 南倉

鼻先を長く突き出し、ひげを蓄え、赤みを帯びた顔の酔胡従の面。酔胡従は酔胡王に従って楽舞の終盤に登場し、泥酔した演技で観衆を楽しませたと推測される。面裏の墨書から捨目師という人物の作とわかる。

 

「楽鉾」 鉾先は鉄製、柄は木製、金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉
「楽鉾」 鉾先は鉄製、柄は木製、金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

「楽鉾」(楽舞に使う鉾) 鉾先は鉄製、柄は木製、金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

鉾とは両刃で剣状の本体に長い柄を差し込んだ武器だが、本品は実戦用ではなく楽舞用とみられる。奈良時代に盛んに行われた仮面劇である伎楽には鉾を持つ役があり、そうした場面で用いられたのかもしれない。

 

「呉楽鼓撃襪) 絹製 奈良時代(八世紀) 南倉
「呉楽鼓撃襪) 絹製 奈良時代(八世紀) 南倉

「呉楽鼓撃襪」(楽舞用の錦のくつした) 絹製 奈良時代(八世紀) 南倉

襪は今日のくつしたにあたる。表の綿は、紫の地に黄・浅緑・赤と、白・縹(薄い藍色)・赤の色糸で花唐草文を織り表す。内側に「後鼓撃襪 東大寺」という銘文があり、呉楽(伎楽)の鼓撃の衣装とわかる。

 


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第4章 祈りと技の工芸美

 

 

 仏を讃、美しく飾ることを「荘厳」といいます。奈良時代には全国に国分寺・国分尼寺が建立され、東大寺大仏の建立を頂点として壮大な仏教文化が花開きました。そうした中で、特に聖武天皇と東大寺に関連して、贅をつくした荘厳具の数々が作られ、いまも正倉院に伝えられています。

 仏への捧げ物に用いられた献物几と呼ばれる華やかな台や彩り豊かな箱のほか、僧侶が用いる誦珠や柄香炉など、宝物の数々はいまも篤い信仰の心を伝えています。

 本章では当時最高の技術によって製作された工芸美術の粋をご覧ください。

 

「緑地彩絵箱」 木製 彩色 金箔 奈良時代(八世紀) 中倉
「緑地彩絵箱」 木製 彩色 金箔 奈良時代(八世紀) 中倉

「緑地彩絵箱」(花文様の箱) 木製 彩色 金箔 奈良時代(八世紀) 中倉

貴重な品物を納め、ほとけに捧げた箱。グラデーションをつけ細やかに彩られた花葉文が美しい。金箔地に班文や唐草文を描き、玳瑁貼り(金箔の上にウミガメ類の甲羅を貼る技法)や透彫金具に似せる工夫がなされる。

 

「粉地彩絵几 附 白綾几褥」 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 中倉
「粉地彩絵几 附 白綾几褥」 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 中倉

「粉地彩絵几 附 白綾几褥」(花文様の供物台) 木製 彩色 奈良時代(八世紀) 中倉

美しく装飾された木製の低い台。彩製の敷物(褥)を敷き、その上に供養の品が置かれ、仏前に捧げられたと考えられる。裏面に「東塔」と朱字で記されていることから、もとは東大寺の東塔にあった品とわかる。

 

「菩提子誦数」 木実 紫水晶 金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉
「菩提子誦数」 木実 紫水晶 金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

「菩提子誦数」(木の実製の数珠) 木実 紫水晶 金具は銅製・鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

読経や念仏を唱える際に手にもつ仏具。百八の木の実の珠と、十三の紫水晶の珠をつないで作られる。名称上は菩提子の数珠とされるが、実際は別の木(シナノキ属の植物)の実を用いている。東大寺の仏前に捧げられた供物とみられる。

 

「赤胴柄香炉」 銅製 鍛造 飛鳥時代~奈良時代または朝鮮半島・統一新羅(七~八世紀) 南倉
「赤胴柄香炉」 銅製 鍛造 飛鳥時代~奈良時代または朝鮮半島・統一新羅(七~八世紀) 南倉

「赤胴柄香炉」(柄付きの香炉) 銅製 鍛造 飛鳥時代~奈良時代または朝鮮半島・統一新羅(七~八世紀) 南倉

柄香炉は仏教の法会などの際に、僧侶が手に持って仏に香を献じるために用いられる。本品は柄端の形がカササギの尾に似ることから、鵲尾形柄香炉と呼ばれ、正倉院宝物中の柄香炉のなかでも最も古様である。

 

「赤布幡・白布幡・縹布幡」 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉
「赤布幡・白布幡・縹布幡」 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉

「赤布幡・白布幡・縹布幡」(赤白青の吊り下げ旗)) 麻布製 奈良時代(八世紀) 中倉

幡は仏教儀礼に用いる旗で、神聖な場を華やかに飾り立てる。本品はいずれも麻布を一重に仕立てた簡素な幡で、透けた織目が軽やかである。加えて黒(または紫)と黄という五色で一組であった可能性もある。

 

「沈香木画箱」 木製 象牙 奈良時代(八世紀) 中倉
「沈香木画箱」 木製 象牙 奈良時代(八世紀) 中倉

「沈香木画箱」(寄木細工の箱) 木製 象牙 奈良時代(八世紀) 中倉

貴重な品物を納めてほとけに捧げた箱。表面に沈香の薄板を貼って石畳文を表し、象牙の界線やコクタンの薄板、矢羽根文の木画で区画する。床脚の紺色に染めた象牙に草花文を彫り表す撥鏤装飾もみどころ。

 

「漆彩絵花形皿」 木製 黒漆塗 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉
「漆彩絵花形皿」 木製 黒漆塗 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉

「漆彩絵花形皿」(供物をのせた皿) 木製 黒漆塗 彩色 奈良時代(八世紀) 南倉

仏前に捧げる供物をのせた脚付きの皿。一枚板から花葉形を刳り抜いて五区画を造り出し、黒漆を塗り、外側面に花葉文を描く。天平勝宝九歳(757)の聖武天皇一周忌斎会に用いられた可能性がある。

 

「赤漆柳箱」 木製 漆塗 紙 奈良時代(八世紀) 南倉
「赤漆柳箱」 木製 漆塗 紙 奈良時代(八世紀) 南倉

 

「赤漆柳箱」(ヤナギを編んだ漆塗りの箱) 木製 漆塗 紙 奈良時代(八世紀) 南倉

ヤナギの枝を編み、全面に漆を塗ったほぼ正方形の箱。素材やつくり、大きさが、正倉院に伝わった誦数に付属する箱に近いことから、本品も同じく誦数を収めた箱だった可能性が高い。

 

 

「玳瑁八角杖」 木製 玳瑁貼り 象牙 樺 籐 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉
「玳瑁八角杖」 木製 玳瑁貼り 象牙 樺 籐 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉

「玳瑁八角杖」(べっこう細工の杖) 木製 玳瑁貼り 象牙 樺 籐 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉

表面を美しく飾りたてた杖。その装飾は、金箔や彩色の上から斑入りのウミガメ類の甲羅を貼る「玳瑁貼り」によるもの。要所に嵌め込まれた白い象牙もアクセントを加える。権威を示す杖として作られたか。

 

「銀盤」 銀製 鍛造 鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉
「銀盤」 銀製 鍛造 鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

「銀盤」(銀製の脚付き皿) 銀製 鍛造 鍍金 奈良時代(八世紀) 南倉

横長八稜形の銀製大皿。銀板を叩いて成形し、外周部分は鏨などを使って花弁形につくる。外側面には唐草文を線刻し、鍍金を施す。ほとけへの捧げものをのせるなどの目的で使われたと考えられる。

 


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第5章 正倉院文書をひらく

 

 

 正倉院には、たくさんの古文書が伝わっています。その多くは、奈良時代の写経所(写経を専門に担当した政府機関)で作られた事務書類です。これらの書類を作成するにあたっては、他から転用された文書や廃棄文書の裏を用紙として利用することがありました。そのため、写経とは直接関係のない戸籍や地方財政の決算書である正税帳など、全国から奈良の都へもたらされた行政文書が、写経所の書類の裏面に残されています。

 本章では奈良時代当時の社会を知る第一級の史料である正倉院文書の世界をご覧いただきます。

 

「正倉院古文書正集 第二十六巻」(美濃国の住民名簿ほか)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第二十六巻」(美濃国の住民名簿ほか)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第二十六巻」(美濃国の住民名簿ほか)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第二十六巻」(美濃国の住民名簿ほか)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉

「正倉院古文書正集 第二十六巻」(陸奥国戸別損益帳)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第二十六巻」(陸奥国戸別損益帳)(部分) 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉

「正倉院古文書正集 第二十六巻」〔御野国戸籍、陸奥国戸別損益帳〕 紙本墨書 飛鳥時代(八世紀) 中倉

御野国戸籍は、大宝二年(702)に作成された現存最古の戸籍の一つ。現在の岐阜県南部の住民の姓名や年齢、親族関係などを記す。陸奥国戸別損益帳は、住民の移動を記録した文書である。古代に家族や住民管理の実態を知ることができる重要な史料。

 

 

 

「正倉院古文書正集 第十巻」〔大倭国正税帳〕 紙本墨書 奈良時代 天平二年(730) 中倉
「正倉院古文書正集 第十巻」〔大倭国正税帳〕 紙本墨書 奈良時代 天平二年(730) 中倉

「正倉院古文書正集 第十巻」〔大倭国正税帳〕(大和国の財政決算報告書) 紙本墨書 奈良時代 天平二年(730) 中倉

大倭国(現在の奈良県)が中央政府に提出した地方財政の決算報告書。天平二年度の収支と残高を、籾米である「穀」と、刈り取った稲穂の束である「頴稲」の量によって記載し、改ざんを防ぐための公印を前面に押している。

 

「正倉院古文書正集 第四巻〔左京職符〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔左京職符〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔左京職符〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔左京職符〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉

「正倉院古文書正集 第四巻〔安拝常麻呂解〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔安拝常麻呂解〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔摂津職解〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「正倉院古文書正集 第四巻〔摂津職解〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉

「正倉院古文書正集 第四巻〔左京職符、安拝常麻呂解、摂津職解ほか〕(さまざまな役所の公印が押された文書) 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉

中央の役所に送られたさまざまな行政文書を収める一巻。役所の公印が押された文書が多い。平城京左京をつかさどった左京職の文書には、公営市場に出回る可能性のある盗難品を東市司に通知したものもある。

 

「続々修正倉院古文書 第二帙 第二巻」〔大官一切経紙上帳〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉
「続々修正倉院古文書 第二帙 第二巻」〔大官一切経紙上帳〕 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉

初出陳「続々修正倉院古文書 第二帙 第二巻」〔大官一切経紙上帳〕(聖武天皇発願の写経に関する文書) 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 中倉

聖武天皇が書写を命じたと考えられる一切経の作業に関する文書。写経用紙がいつ、どれだけ送られたなどが記録される。この巻に記載された分だけでも三千発百三十巻分を超え、大規模な経典書写が行われていた様子がうかがえる。

                                      

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第6章 端整なる署の世界

 

 

 仏の言葉を記す写経の文字は、とくに整った書体で記されました。正倉院宝庫の東南には聖語蔵と呼ばれているもう一つの倉があり、およそ五千巻の経巻が伝えられました。それらは中国で書写されたとされる隋経・唐経、光明皇后が亡き父母の冥福と聖武天皇の御代の安泰を願って書写させた天平十二年御願経(五月一日経)、称徳天皇発願の神護景雲二年御願経や宝亀年間(770~781)に東大寺の写経所で書写された一切経などに分類できます。

 本章では質量ともにわが国有数の貴重な経巻群である聖語蔵経巻と、その美しく端整な文字の世界をご紹介します。

「摩訶般若道行経 巻第七」 紙本墨書 中国・唐(七~八世紀) 聖語蔵
「摩訶般若道行経 巻第七」 紙本墨書 中国・唐(七~八世紀) 聖語蔵

初出陳 「摩訶般若道行経 巻第七」(中国唐時代の写経) 紙本墨書 中国・唐(七~八世紀) 聖語蔵

聖語蔵に伝わる経巻のなかで、唐代の写経と分類されるもの。麻紙とみられる紙を十七紙継ぎ、経文を墨書する。表紙などに朱の「東大寺印」が押されている。全体を通じ、筆跡は端正で鋭い。

「悲華経 巻第八」 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 聖語蔵
「悲華経 巻第八」 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 聖語蔵
「悲華経 巻第八」 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 聖語蔵
「悲華経 巻第八」 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 聖語蔵

初出陳「悲華経 巻第八」(光明皇后発願の写経) 紙本墨書 奈良時代(八世紀) 聖語蔵

光明皇后亡き父母のために書写させた一切経のうちの一巻。天平十二年(740)五月一日付の願文があるため「五月一日経」と呼ばれる。約二十年かけ、六千五百~七千巻近くが書写されたと推定される。

 

「紫檀金銀絵書几」 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉
「紫檀金銀絵書几」 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉

「紫檀金銀絵書几」(巻物を広げる台) 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 奈良時代または中国・唐(八世紀) 南倉

向かって左側の円形をなす受け台に巻物をのせ、右側へと紙面を広げて用いる。貴重なシタン材製で、各所に金銀で文様を表す。近年では、本品を唐代の文献にある「経架」(経巻を広げ見るための台)と考える説がある。

 

模造「紫檀金銀絵書几」 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 昭和二十九年(1954) 奈良国立博物館蔵
模造「紫檀金銀絵書几」 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 昭和二十九年(1954) 奈良国立博物館蔵

参考出陳 模造「紫檀金銀絵書几」(紫檀金銀絵書几の模造) 木製 金銀泥絵 金具は銅製・鍍金 昭和二十九年(1954) 奈良国立博物館蔵

巻物を背後から支える上部中央の受木や紐など、原宝物では失われた部分も想定復元されている。これにより、実際に巻物を広げて設置した姿を知ることが出来る。なお、展示では「杜家立成」の模造(原宝物は正倉院北倉三)を設置されている。

 



【開催概要】

 

会  期:2024年10月26日(土)~11月11日(月)

会  場:奈良国立博物館 東新館・西新館

住  所:〒630-8213 奈良市登大路町50番地

時  間:8:00~18:00

     金・土・日曜日、祝日は20:00まで

     ※入館は閉館の60分前まで

休  館  日:会期中無休

観  覧  料:一般 2,000円、高大生 1,500円、小中生 500円、キャンパスメンバーズ学生 400円

     レイト割 一般 1,500円、高大生 1,000円 小中生 無料

     研究員レクチャー付き観覧券 詳細は奈良国立博物館ウェブサイト等で決まり次第お知らせします。

     VR「正倉院 時を超える想い」特別上演会付き観覧券(主催:奈良国立博物館、TOPPAN株式会社)

     詳細は奈良国立博物館ウェブサイト等で決まり次第お知らせいたしま

   

   ※障害者手帳またはミライロID(スマートフォン向け障害者手帳アプリ)をお持ちの方(介護者1名を含む)、

    未就学児、レイト割(小中生)、奈良博メンバーシップカード会員の方(1回目及び2回目の観覧)、

    賛助会会員(奈良博、東博[シルバー会員を除く]、九博)、清風会会員(京博)、特別支援者は無料。

   ※無料対象の方は、「日時指定券」の購入は不要です。証明書等をご提示ください(小中生以下は不要)。

   ※キャンパスメンバーズ会員の学生は、奈良国立博物館と連携する特定の大学等に属する学生のみが対象となり    

    ます。当日会場入り口で学生証の提示が必要です。提示いただけない場合には差額をお支払いいただきます。

    キャンパスメンバーズ会員校等は、奈良国立博物館ウェブサイト      

     (https://www.narahaku.go.jp/members/campus)でご確認ください。

     キャンパスメンバーズの学生が誤って通常料金で「日時指定券」を購入した場合も、払い戻し等はできませ      んのでご注意ください。

   ※「日時指定券」の変更、キャンセル、払い戻し、再発行はいたしません。

   ※レイト割は月~木曜日は午後4時以降、金・土・日曜日、祝日は午後5時以降の「日時指定券」に適用されま   

    す。

   ※観覧には原則、事前予約制の「日時指定券」の購入が必要です(無料対象者を除く)。

    予約販売枚数に達し次第、販売を終了します。

   ※「日時指定券」は当日各時間枠開始時刻まで販売いたします。

     購入方法については下記をご確認ください。

 

 

【日時指定券の購入方法】

 

   販売開始日時 9月6日(金)午前10時

   〔店頭・オンライン〕

   ※ローソンチケット[Lコード59600]日本語版インターネット(https://l-tike.com/76shosoin-ten/)

   英語版インターネット、ローソン各店舗、ミニストップ各店舗

   〔電話〕

   ※CNプレイガイド[Cコード※入館開始時間ごと:①月~木曜日:午前8時~正午 237‐091、②月~木曜日:正午  

   以降 237‐092、⓷金・土・日曜日、祝日:午前8時~正午 237‐093、④金・土・日曜日、祝日:正午以降 237‐094]

   [電話(自動音声)0570‐08‐9920による受付のみ]

   〔オンライン〕

   ※展覧会オンラインチケット(https://www.e-tix.jp/shosoin-ten/)

   ※美術展ナビチケットアプリ

    事前に「美術展ナビチケエットアプリ」のダウンロードが必要です。美術展ナビチケットアプリはッスマートフォン専用と            

    なります。(推薦環境:iOS 13以降、Android 6.0以降)

 

【入館・観覧に関して】

 

  ・指定された日時以外の入館はできません。

  ・館内の状況により、指定された入館時間より早くご案内する場合や、お待ちいただく場合があります。

  ・各時間枠開始直後は、混雑が予想されますので、少し遅れてのご入館をおすすめいたします。

  ・本展は入替制ではありません。

  ・本展の「日時指定券」で、名品展(なら仏像館・青銅器館)もご覧になれます。

  ・当館に駐車場はございません。お車でのご来館はご遠慮願います。

 

℡:050-5542-8600(ハローダイヤル)

URL:【奈良国立博物館ウェブサイト】https://www.narahaku.go.jp/

   【正倉院展公式サイト】https://shosoin-ten.jp/

 

主  催:奈良国立博物館

特別協力:読売新聞社

協  賛:岩谷産業、印傳屋上原勇七、SGC、NTT西日本、関西電気保安協会、近畿日本鉄道、JR東海、JR西日本、

     シオノギ機ルスケア、ダイキン工業、ダイセル、大和ハウス工業、中西金属工業、丸一鋼管、大和農園

特別支援:DMG森精機

協  力:NHK奈良放送局、奈良交通、奈良テレビ放送、日本香堂、仏教美術協会、読売テレビ

 

交通:近鉄奈良駅下車 徒歩約15分、またはJR奈良・近鉄奈良駅から市内循環バス外回り「氷室神社・国立博物館」下車すぐ。

 

 

 

【公開講座】

 

①11月2日(土)「紫地鳳形錦御軾再現ー伝統技術とデジタル技術の融合ー」

 田中陽子氏(宮内庁正倉院事務所整理室長)

 

②11月10日(日)「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡の魅力について」

 吉澤悟(奈良国立博物館学芸部長)

 

【時間】13:30~15:00(13:00開場)

【会場】奈良国立博物館 講堂

【定員】各180名(事前申込抽選制)座席自由

【料金】聴講無料(展覧会観覧券等の提示は不要です)

【応募期間】9月24日(火)~10月8日(火)

【応募方法】奈良国立博物館ウェブサイト「講座・催し物」→「公開講座」申込フォームより必要事項をご入力の上、お申し込みください。

【参加証の送付】10月11日(金)までに抽選結果をメールにてお送りします。当選メールが参加証となりますので、メールの画面、または印刷したものを当日必ずご・提示ください。

 

【ご注意】

・今回の応募方法は、WEB申し込みに限ります。

・応募はお1人様各1回でお願いいたします。

・ご本人様以外の入場はできません。

・お預かりした個人情報は、本公開講座の連絡のみに使用します。

・参加証で正倉院展示室に入場することはできません。

・正倉院展展示室への入場は時間指定制です。講座の受講に関わらず、指定時間外の入場はできませんので、予めご注意ください。