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京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開となるってマジ?!展 開催中

 

2019年10月に開館した福田美術館は、今秋で開館5周年です。この間、展覧会の開催と共に、江戸時代から現代までの魅力的な作品の収集を行ってこられました。その中でもひときわ注目を集めているのが伊藤若冲(1716‐1800)の《果蔬図巻(かそずかん)》

です。

この作品は長年ヨーロッパの個人が所蔵していましたが、昨年日本へ里帰りし、福田コレクションの仲間入りを果たしたものです。

本展では、今からおよそ240年前、70代の若冲が描いた極彩色の《果蔬図巻》が、彼が生まれ育った京都で、世界で初めて公開されています。また、2019年春、同館が開館する直前に発見された若冲最初期の作品《蕪に双鶏図》をはじめとする初期から晩年までの優品およそ30点を一堂に展示。さらに、若冲が影響を受けた中国人画家・沈南蘋(しんなんぴん)やその弟子の熊斐(ゆうひ)、京・大坂で活躍した画家にも焦点が当てられています。さらに、同時期に京・大阪で活躍した画家・円山応挙や曽我蕭白にも焦点が当てられます。

若冲愛好家はもちろん、美術に詳しくない方にとっても、本展が若冲の芸術世界をより深く理解し、その魅力を存分に感じ取る機会となるでしょう。

 

(右)「呂洞賓図」伊藤若冲画 維明周奎極書 18世紀

(中)「牡丹に蝶図」伊藤若冲画 片山北山賛 18世紀

(左)竹図 伊藤若冲画 梅荘顕常賛 18世紀

 

 伊藤若冲(1716‐1800)は、江戸時代の中期、京都の錦市場にある青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、23歳の時、父が亡くなったことをきっかけに家業を継ぎました。仕事のかたわら絵を描いていましたが、40歳頃、若冲が真に追求したい絵画の道に専念するため隠居を決意し、家業を弟に譲ります。

 その後若冲は、長崎に滞在していた中国人の画家・沈南蘋(ちんなんびん)や、その弟子などの、当時最新の絵画を学びながら画技を極めていきます。42歳から約10年かけて完成させた《動植綵絵》はその集大成といえます。また、水墨画の愛らしい動物や、禅宗で人気のあった達磨などを、若冲独自の感覚で描いた水墨画も見逃せません。

 第1章では、30代初めに描いた最初期の作品《蕪に双鶏図》や「筋目描き」という技法を使った《芦葉達磨図》など、初期から晩年までの作品を展示しています。同時に、若冲が影響を受けた中国人画家の作品や黄檗宗の僧侶による作品なども展示し、若冲作品の背景に迫ります。

 

(右より)

「大角豆図」伊藤若冲 18世紀

「花鳥図」伊藤若冲 18世紀

「牡丹図」伊藤若冲 18世紀

「菊図」伊藤若冲 18世紀

「馬図」伊藤若冲画 無染浄善賛 18世紀

「柳に雄鶏図」伊藤若冲 18世紀

「瓦に鶏図」伊藤若冲 18世紀

 

蕪に双鶏図 伊藤若冲 18世紀

 

若冲最初期の作品

若冲が30代初めに描いた最初期の作品。蕪畑の中に番(つがい)の鶏が描かれています。雄鶏は頸、胸、尾など体が全体的に横に長く描かれ、雌鶏は画面下に生える蕪の葉の後ろで蹲っています。制作時期は30代前半であり、これまで知られている中で最初期の作品と考えられます。

 

「伏見人形図」伊藤若冲 18世紀

 

郷土玩具の元祖・伏見人形

袋にもたれかかって座る布袋の背後に立つ縞模様の帯を前で結んだ花魁。

若冲は多くの花鳥図を描いていますが、山水画や肖像画、風俗画などはあまり残っていません。この絵は人形の花魁を写したものですが、若冲が描く女性像は特に珍しく貴重です。

 

「双鶴図」伊藤若冲 18世紀

 

華叟という署名は激レア

長い頸を描かず、輪郭だけで胴体の形を表す2羽のタンチョウ。尾羽の濃い炭やタンチョウの後ろに見える梅の細い枝によって、絵が単調にならず、奥行きが感じられるように工夫されています。落款の「華叟」は、58歳の時に初めて訪問した黄檗宗の本山萬福寺で、住職から贈られた僧侶としての名前です。

 

芦葉達磨図 伊藤若冲画 大田南畝賛 18世紀

 

修行を積めば芦にも乗れる

禅宗の開祖である達磨が1本の芦に乗って揚子江を渡ったという逸話を描いた作品。達磨がまとった衣の襞には「筋目描き」が駆使されています。墨の濃さ、水分の量などをコントロールする若冲の技術の高さと練習量に驚かされます。

 

 

 

「雲中阿弥陀如来像」伊藤若冲 18世紀

 

花を持つ手に優しさが宿る

真正面を向く阿弥陀如来が雲の中から上半身を見せます。頭の周囲にさす後光や雲の外側を黒くすることで、輪郭線を引かずに表現する「外隈」という技法で描いています。袈裟は衣の皺を表す線によって仕切られた部分ごとに、微妙に墨色を変化させています。若冲による珍しい仏画です。

 


「鶏図押絵貼屏風」伊藤若冲 寛政9年(1797)

 

若冲が自由自在に揮う筆

近年に新しく確認された作品。12枚の紙1枚1枚に鶏と共に燈籠、箒、笠などを描き加えています。その中でも燈籠は薄墨を重ね、表面の質感を見事に表現しています。若冲82歳の時に描いた作品で、年齢を感じさせない勢いがあります。

 

「花鳥図」沈南蘋 雍正9年(1731)

 

みんなの憧れ沈南蘋

タンポポやバラが咲き、洞がいくつもある柳の老木の枝に、葉が芽吹き始めた春の風景を描いた作品。沈南蘋は、中国清時代の画家で、若冲をはじめ江戸時代の画家たちに影響を与えました。木や岩を画面の端に寄せて描く構図や、細緻な花鳥の表現で知られています。

 

「神農図」白隠慧鶴 18世紀

 

禅僧が描く薬の神様

神農とは、様々な草を食べてその薬効性を判断したという伝説の人物。頭に角が生え、右手に種類の異なる草、左手に、鎌が付いた棒を持っています。白隠が描いた「神農図」は数点確認されていますが、その中でも、これほどまでに丁寧な筆致で細部を表現する作品はあまり知られていません。

 


「松竹梅鶴亀図」熊斐(ゆうひ) 18世紀

 

沈南蘋の直弟子

熊斐は長崎で活躍した画家で、1732年からおよそ1年間長崎に滞在した中国の画家・沈南蘋に直接絵の指導を受けました。3幅対として描かれた本図は、中幅に竹と7羽の鶴、右幅には松と3匹の亀、左幅は梅と3匹の亀を描いた大変おめでたい図柄です。岩や樹木の立体感、地面に生える草や苔の表現など師匠である沈南蘋の画風との類似が指摘できます。

 

「蓮・牡丹・菊図」宋紫石 18世紀

 

若冲も学んだ構図や技法

宋紫石は、長崎で熊斐と清人画家・宋紫石に絵を学びました。中央の蓮図は、透き通った水の中から茎が立ちあがり、今にも開きそうに成長した蕾を描いています。左軸に描かれた菊の花びらは輪郭を墨線で表し、周囲に薄い青を刷くことで白色を強調。右軸の牡丹は花と葉のどちらも「没骨法(もっこうほう)」を用い、葉と葉の重なりあう部分は線を用いずに空間をあけています。

 

《果蔬図巻》世界初公開 大典と大阪で活躍した画家たち

 

遂に世界初公開!極彩色の「激レア」な巻物、果蔬図。

 

若冲筆《果蔬図巻》は約3メートルの絹地に様々な野菜や果物が描かれ、巻物に仕立てられた作品です。巻末には、相国寺の僧侶で若冲が40~50代の頃に親しく交流した梅荘顕常/(大典)が書いた跋文が付けられており、若冲の絵を絶賛するとともに、本作が浪華(現・大阪)の森玄郷という人物から依頼されたものであることなどを伝えています。

またこの章では、この大典の跋文を含む《果蔬図巻》を世界で初めて一般公開すると共に、若冲と大典が京から大阪へ下るために乗った舟からの風景を版画で表現した《乗興舟》と、若冲が70代から85歳で亡くなるまでの作品を併せて紹介されています。

また大阪で活躍し、若冲と近しい画風を持つ黄檗宗の僧侶・鶴亭や葛蛇玉などによる個性あふれる作品も展示します。鶴亭浄光筆《蕃椒図》、《梅・竹図押絵貼屏風》も福田美術館初公開の作品です。

 

伊藤若冲_果蔬図巻_(1970年以前)_福田美術館蔵
伊藤若冲_果蔬図巻_(1970年以前)_福田美術館蔵
伊藤若冲_果蔬図巻(部分)
伊藤若冲_果蔬図巻(部分)

 

果蔬図巻 伊藤若冲画 梅荘顕常跋 寛政2年(1790)以前

 

京都の嵐山に舞い降りた奇跡!

ウド・モモ・ナシ・クワイをはじめ約50種類の野菜や果物が次々と描かれており、ユーモラスで愛らしい形からは、彼の家業である青物問屋で扱っていた野菜や果物を慈しむ気持ちが感じられます。図鑑の最後にある若冲と親しく交流した相国寺の禅僧・梅荘顕常による文章からは、浪華の森玄郷のために制作したことが判明しました。絵の最後に登場するトウ

ガンの中にある文字は「米斗翁行年七十六歳画」という若冲

伊藤若冲_果蔬図巻(部分)
伊藤若冲_果蔬図巻(部分)

の書名です。晩年の彼は実年齢に1歳以上足した年齢を署名に書いていたことが分かっています。本作も1歳若い75歳以前に制作したと考えられます。

 

 

 

 

 

 

若冲と大典の親交が伺える《乗輿舟》が新たに福田コレクションに!

《乗興舟》は幅28㎝、長さ9mを超える長尺の絵巻で、若冲が50代の頃の「拓版画」の作品です。後に国宝として著名になった三十幅の大作《動植綵絵》の制作を終え、新たな境地を開こうとしていた若冲のエネルギーが感じられます。絵巻には、京の伏見から大阪まで若冲と川下りをした淀川沿いの風景に大典の漢詩が添えられており、美しいぼかしやグラデーションも見どころです。展示室では若冲と大典が共に旅した軌跡をパネルで解説し、当時の2人の様子に思いを巡らせることができます。

 

「群鶏図」伊藤若冲 寛政4年(1792)

 

ぼちぼちトサカが出てきたな

親子の鶏を描いた作品で、雄鶏は片脚で立ち、右を向いて雌鶏の方を見ています。雄鶏の胴体は各部分の羽の模様を黒や茶、白(胡粉)で描き分けている一方、雌鶏は絹地本来の色を利用しながら、胡粉と墨で羽の模様を表現しています。ひよこが雄鳥と雌鶏の右後ろに1匹、左前方に2匹おり、小さな鶏冠が見えます。若冲77歳の時の作品です。

 

「蕃椒図」鶴亭浄光 18世紀

 

若冲とは互いに意識していたはず

南米原産の蕃椒(とうがらし)の実を描いた作品。天に向かって勢いよく実をつける姿から「天井守」とも呼ばれる蕃椒の特徴を活かし、縦長の画面をうまく活かした配置です。このような構図や同じモチーフの繰り返し、遠近感や背景がそれほど意識されていない点などは、若冲作品にも見られる特徴です。

 

「蘇鉄図」葛蛇玉 18世紀

 

彼もまた沈南蘋チルドレン

蘇鉄の葉は墨の滲みによって、その質感や葉が重なる様子を表現。一方、幹の表面には枯れた葉の根元が残って堅くなり、ゴツゴツとしているため。墨の擦れを用いています。

蛇玉は大坂生まれの画家。狩野派の流れをくむ橘守国や、もと黄檗宗の僧侶で沈南蘋の画風を上方へ伝えた鶴亭に絵を学びました。

 

「群鶴図」佚山 18世紀

 

若冲も取り入れた「密集鶴」

佚山は大坂で生まれ、京・大坂地域で活動した曹洞宗の僧で篆刻、書、画などに秀でていました。松の下に6羽のタンチョウが様々な姿で群れを作っています。頸の黒い羽毛は細い墨線を網目のように交差するように引いて質感を表現。一方で、黒い尾羽(実際は翼)は濃淡を付けず濃墨で描き、交差する部分に少し空間を作っています。このように一つの対象に細密と省略が混在している点が佚山の画風の注目すべき特徴です。

 


「梅・竹図押絵貼屛風」鶴亭浄光 明和4年(1767)

 

命が宿る筆の勢い

鶴亭作品の半数以上が本作のような水墨画で自由な構図に特徴があります。本作は梅と竹を交互に描いた作品で、竹は伸びやかな幹の曲線、左右に広がる葉の重なりを墨の濃淡によって表現。折れ曲がりながら画面を横断する梅の枝は大胆な筆遣いですが、枝に付く梅の花びらは1枚1枚繊細に描かれています。

 

 

京都で活躍した奇想の画家・蕭白と写生画の天才・応挙

 

曽我蕭白(1730‐1781)と円山応挙(1733‐1795)は、伊藤若冲とほぼ同時期に活躍しました。彼らは室町時代から続く狩野派の手法を学んだ後、自分の個性を頼りに思うままに自らの表現を打ち出しました。

 

京の商家に生まれた曽我蕭白は、室町時代の画家・曽我蛇足の系譜に連なる「蛇足軒十世」と名乗りました。荒々しい筆致や大胆な構図で知られていますが、描く対象を的確に把握する力や細密で精確な描写も見逃せません。

一方、円山応挙は丹波国亀岡の農家に生まれた画家で、それまでの形式的な描法にとらわれず、綿密な観察に基づいた「写生」をもとにした作品を描くことで人気を博しました。

独自の表現を模索し続けた2人の作品を比較しながら鑑賞するのも一興です。

 

「柳下白馬図」曽我蕭白 18世紀

 

アイラインが印象的

曽我蕭白は室町時代の画家・曽我蛇足の系譜に連なる「蛇足軒十世」と名乗り、日本はもちろん中国絵画も参考にしながら、独自の画風を確立しました。

この絵では柳の下で水を呑むため白馬が前屈みになり、前脚を踏ん張っています。瞼の下に引かれた墨線は力強さを感じさせ、人物・動物に限らず多くの蕭白作品に共通する特徴の一つです。

 

「虎図」曽我蕭白 18世紀

 

ニンマリ顔がどこか人のよう

横向きに座って体をひねり、こちらへ振り向く虎。目の上にある眉毛のような白い毛は、中国や朝鮮半島の文物が入ってきた長崎で活躍した画家たちの虎図に見られる特徴です。曽我蕭白の描く虎は、どこか人間味があり、本作においてもニヤリと笑う表情は楽し気です。

 

「牡丹孔雀図」円山応挙 安永3年(1774)

 

リアルでゴージャス

華麗に咲き誇る牡丹を背景に、番の孔雀が大きな岩の上に立っています。雄の頭から羽先にかけての対角線と、太湖石から牡丹へ向かう対角線を意識して描かれており、画面に奥行きがもたらされています。

円山応挙は、長崎に一時滞在した中国の画家・沈南蘋の写実的な花鳥図を参考に、金色を加えたより鮮やかな彩色を施しました。

 

「雲龍図」曽我蕭白 18世紀

 

大胆な余白 モダンな構図

画面中央に何も描かない大胆な構図で、黒雲の間から龍が顔を出す瞬間を表現。素早く筆を動かすことでできる滲みや擦れを利用して、強風によって巻き上がった大波を見事に表現しています。また、油性ペンのような太さの変わらない輪郭線を用いた顔は、恐ろしいというよりもどこか楽しげです。

 

 

 

「虎図」円山応挙 天明6年(1786)

 

猫を参考にしたら可愛すぎた

正面を向いて一点を凝視する虎。交差する前脚には関節がなく、不自然な姿をしています。日本には野生の虎が生息しておらず、実物の虎を観察することができなかったため、猫を参考に描き上げました。虎の迫力がなく、どこか可愛らしい印象を与えるのは、猫の特徴を描いた結果と言えるでしょう。

 

「雲龍図」円山応挙 安永3年(1774)

 

龍の勢いがスゴい

「写生」を重視して表現を模索した応挙は、実在しない龍や定型のない雲、さらには空気などの絵画化にも挑戦しました。脚で雲を切り裂いて顔を出す龍の姿は若冲や蕭白の《雲龍図》と似ていますが、龍の周囲に渦巻く黒雲は若冲も使っていた「画箋紙」の特徴である墨の滲みによって表現しています。

 



 

 

【展覧会概要】

 

展覧会名:開館5周年記念「京都の嵐山に舞い降りた奇跡 !!  伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ ?!」

     (略称:若冲激レア展)

会  期:2024年10月12日(土)~2025年1月19日

     ※12月3日(火)に《鶏図押絵貼屏風》の右隻、左隻を入れ替えます。

開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30)

休  館:※12月3日(火)、12月30日(月)~1月1日(水)

料  金:一般・大学生 1,500円(1,400円) 高校生 900円(800円) 小・中学生 500円(400円)

      ※障がい者と介添人1名まで各900円(800円)

      ※幼児無料

      ※( )内は20名以上の団体料金

     <嵯峨嵐山文華館両館共通券>

     一般・大学生:2,300円/高校生:1,300円/小・中学生:750円/障がい者と介添人1名まで:各1,300円

主  催:福田美術館

後  援:京都府、京都市、京都市教育委員会

アクセス:〒616-8385 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町3‐16

     JR山陰本線(嵯峨野線)「嵯峨嵐山駅」下車徒歩12分

     阪急嵐山線「嵐山駅」下車11分

     嵐電(京福電鉄)「嵐山駅」下車徒歩4分