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天神祭 御迎え人形[大阪府指定有形民俗文化財] 大阪天満宮所蔵

 

御迎え人形は、各地域の人が神様を迎えるための船に乗せた人形です。この人形は、江戸時代の中期(1688‐1704)の天神祭の時期に船に乗せられていました。

この人形は、江戸時代(17~18世紀)に人気があった歌舞伎や文楽の登場人物をモデルに造られました。

各地域の人は人形を乗せた船を川に行き来させて、神様を盛大に迎えました。

当時の人は、神様が豪華な船ほど喜ぶと考えていました。

江戸時代の後期(1860年頃)に、50体以上の御迎人形が作られました。現在は、16体と1つに頭部しか残っていません。

14体が大阪府の「有形民俗文化財」として保護されています。毎年、天神祭の時期だけ公開されます。

 

 

三番叟(さんばそう)

 「三番叟」は、能の「式三番」の後半で、狂言方が演じる舞をいいます。五穀成就を寿ぐ老人の舞であり、儀式的要素が強い強いことから神聖視され、のちには、歌舞伎や人形浄瑠璃にも採り込まれ、祝言の舞として演目の初めに行われるようになりました。また、日本各地の民俗芸能にも影響を与え、様々な形態で伝えられています。

 

 

酒田公時(さかたのきんとき)

 平安時代後期の武将(「坂田」や「金時」とも書く)。浄瑠璃『嫗山姥』では「怪童丸」の名で登場します。伝承の世界では、相模国(神奈川県)足柄山で育った怪童とされ、全身が赤く、鉞(まさかり)を担いで熊にまたがる姿は、五月人形の「金太郎」として広まりました。のち、源頼光(984~1021)西天王の一人として、大江山の酒呑童子退治に随行し、活躍します。

 

 

鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)

 平安時代後期の武将・源為朝(1139~1170)のこと、源頼朝・義経の叔父にあたります。この人形は、芝居『鎮西八郎降魔鎬(ごうまのかぶらや)』や『鎮西八郎誉弓勢(ほまれのゆんぜん)』などの主人公である為朝を模しています。弓術に長じた乱暴者として、九州(鎮西)に流されたことから「鎮西八郎」を名乗ります。実在の為朝が流された八丈島(東京都・伊豆七島の南部の島)には、江戸時代を通じて疱瘡が流行しなかったことから、為朝は強力な疱瘡神と信じられました。