現在、奈良国立博物館で開催中の生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」では、5月14日(火)より後期展示となります。後期展示は、現在展示総数115件のうち約44件の展示替え(場面替え等含む)を実施。前期とはまた異なる雰囲気で空海の伝えたマンダラ世界をご体感ください。
後期のみの主な展示作品
国宝 五大尊像 5幅 (京都・醍醐寺)
五大尊とは、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の五大明王で、調伏法の本尊にもなります。不動明王は矜羯羅(こんがら)・制吒迦(せいたか)の二童子を連れています。五大尊はいずれも童子身で青緑色をして不動明王を除き、多面多臂像で六足をもち水牛に乗り、降三世、軍荼利、金剛夜叉は片足を蹴り上げる姿で顕教の忿怒相にみられない怪奇さを表しています。醍醐寺本は鎌倉時代の作品で、平安時代の円心様五大尊の形式に従いながら、忿怒の表情が強烈です。
国宝 十二天像 (京都国立博物館)
この十二天像は、東寺(教王護国寺)旧蔵で、宮中真言院で毎年正月行われる後七日御修法に用いられました。
教王護国寺本五大尊像とは一具の作品です。大治二年(1127)の東寺宝蔵火災後、仁和寺円堂後壁画の十二天を手本にして、同年中に復興したもので、すべて氍毹座(くゆざ・毛氈座)に坐り、その照隈(てりぐま)と截金文様(きりかねもんよう)を交えた美しい尊容は、仏画の最盛期である院政期の作品のうちでも抜群の出来栄えと称せられています。梵天と風天のみは長久元年(1040)制作の十二天が焼け残ったものと思われます。
【後七日御修法(ごしちにちみしほ)】
宮中前七日節会に対して宮中後七日御修法といい、また真言院御修法ともいいます。毎年1月8日~14日の7日間、宮中真言院において、天皇の安穏や国土安泰、五穀豊穣を祈る真言宗の重要な儀式で、承和元年(843)、空海の奏請により宮中で行われて以来(途中兵火で約170年程中止されました)、明治初年(1868)まで歴代天皇が行わせられました。明治以後は東寺真言院で行われています。
後七日御修法の道場には仏舎利を本尊として、東西に両曼荼羅をかけ、大壇等を置き、四方に五大尊、十二天をかけ、ならびに息災護摩壇、増益護摩壇、十二天壇、聖天壇等を建立し、その修法は大壇・両護摩壇は二一座修法し、五大尊供二一返、十二天供、聖天供各十四度、神供三度修行し、本尊咒のほかに仏眼・大日・薬師・延命・不動・吉祥・一字の七種真言数万遍を誦し、別に初夜・後夜には御衣を加持し、終の三日九時には香水を加持し、結願の日に玉体にそそぐのです。しかし、明治16年(1883)御修法再興以後は玉体火事の儀は行っていません。このような修法は甲年乙年にて両界曼荼羅に行うのが通例となっています。 (高野山真言宗 佐伯浩道)
高雄曼荼羅
淳和天皇の御願により、空海が神護寺に新たに造営された灌頂堂の所用として天長年間(824~34)に制作された両界曼荼羅で、花鳥丸文のある赤紫の綾地に金銀泥で描かれています。その手本になったのは、空海が唐から請来した現図曼荼羅かもしくは弘仁12年(821)にこれを写した第一回目の転写本で、諸尊はいずれも張りのある太さの均一な線で、現存する両界曼荼羅では最古の作品です。
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〚展覧会の模様〛
第1章 密教とは───空海の伝えたマンダラの世界
曼荼羅を本格的に日本に請来したのは空海です。空海が入唐の成果を朝廷に報告するため記した『御請来目録』に、まだ知られていなかった曼荼羅とは何か書かれています。
「密蔵深玄にして翰墨に載せ難し。 更に図画を仮りて悟らざるに開示す。 種々の威儀、種々の印契、 大悲より出でて一覩に成仏す。 経疏に秘略にして、これを図像に載せたり。 密蔵の要、実にここに繋れり。」
(密教は奥深い教えであり、すべてを文字で言い表すことはできない。だから図像絵画をもって、凡夫にもわかるように説き示している。仏たちの様々な身体の威儀、手の印契は、大いなる仏の慈悲を表しており、ひとたび見ればたちまち成仏する。経典や注釈書には秘されて略されているが、それを図像には描かれている。曼荼羅こそ密教の要である)
はじめてこの極彩色の曼荼羅を見た人たちは驚いたことでしょう。曼荼羅は密教の神髄を集約したものであり、密教の修行にも不可欠なものです。
両界曼荼羅 大阪・久修園院)
空海が創設した真言宗の特別な修法、後七日御修法で用いられる両界曼荼羅の副本として制作された4メートル四方の曼荼羅。鮮やかな色彩で見る者を圧倒します。
第2章 密教の源流───陸と海のシルクロード
第3章 空海入唐───恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
全十二巻で、空海生誕600年にあたり伝記絵巻の制作担当に任じられた東寺観智院の賢宝が、応安七年(1374)に漢文体の「弘法大師行状要集」を執筆しました。これに基づいて同年から康応元年にかけた制作されたのが本絵巻です。
第4章 神護寺と東寺───密教流布と護国
当時、高雄山寺の空海のもとに滞在修学していた最澄の愛弟子の泰範にあてた、最澄直筆の手紙です、空海が新しく選述した『文殊讃法身礼方円二図』及び『注義』の借用にたいして、その協力を要請したものです。
文章の書き出しに「久しく清音を隔つ(久隔清音)。馳恋極りなし。」とはじまることから「久隔帖(きゅうかくじょう)」と呼ばれます。尺牘(せきとく)とは漢文の手紙のことです。
内容は、空海が示した五十八の詩の韻に対して詩を奉りたいが、『一百二十礼仏』『方円の図』『注義』などの書名があり、いまだ『礼仏図』なるものを知りません。この私の意図を阿闍梨(空海)にお伝えして、新しく撰述された『方円図』などの主な趣旨などお知らせ願えないか。その和韻の詩はたやすく作れない。その委細の趣旨を示してほしい。必ず、和韻の詩をつくって大阿闍梨(空海)の前に奉ります。という内容のもので、大阿闍梨の場所で改行するなど、年下の空海に対して最善の礼を尽くす、実直で真摯な最澄の人柄を伺うことができ、また品格の高さをよく表しています。
追伸では、『法華経』の梵本一巻を入手したので、空海にご覧いただきたく参上したい旨が記されています。
第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰
重要文化財「孔雀明王坐像」 鎌倉時代・正治二年(1200)頃 和歌山・金剛峯寺
快慶作。孔雀明王は毒蛇を喰う孔雀を神格化したもので、不空訳仏母大孔雀明王経によれば、摩訶摩瑜利仏母明王大陀羅尼を呪せば、蛇毒をはじめ一切の諸毒、怖畏、災悩を滅し、安楽を得させるとあり、諸毒を祓い、災厄を滅する仏として信仰されました。
両翼を広げ、尾を光背のように展開した正面向きの孔雀の背に蓮華座を置いて結跏趺坐した四臂の明王像。玉眼による切れ長の眼、全体期に引き締まったフォルムなど快慶らしい造形美です。正治二年、後鳥羽上皇の発願で建立された孔雀堂の本尊。朱書の胎内銘・作風で阿弥陀仏快慶の作と考えられます。
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【開催概要】
■企画展名:生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」
■会 場:奈良国立博物館 東・西新館
■会 期:2024年4月13⽇(土)~ 6月9⽇(⽇)
■開館時間:09:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで
(名品展は開館時間が異なります。詳しくは奈良国立博物館公式ウェブサイトをご覧ください。)
■休 館:毎週月曜日
■観覧料金: 一般 2,000(1,800)円、高大⽣ 1,500(1,300)円
*( )内は20名以上の団体料金
*中学生以下は無料。
■主 催:奈良国立博物館、NHK奈良放送局、NHKエンタープライズ近畿、読売新聞社
■学術協力:高野山大学
■協 賛:NISSHA、きんでん、築野グループ、パナソニックホールディングス、非破壊検査
■協 力:インドネシア国立中央博物館、陝西省文物局、陝西省文物交流中心、西安碑林博物館、種智院大学、日本香堂、仏教美術協会
■展覧会公式HP: https://kukai1250.jp/