特別展「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカ」」が現在、国立国際美術館(大阪市北区中之島)で5月6日(月・振休)まで開催され、古代メキシコの至宝140件が一挙に展観できる機会となっています。
前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたって繫栄したメキシコの古代文明。本展では、そのうち「マヤ」、「アステカ」、「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点を当てられています。
火山の噴火や地震、干ばつなど厳しい自然環境のなか、人々は神を信仰し時に畏怖しながら、王と王妃の墓、大神殿、三大ピラミッドなど各文明を代表する壮大なモニュメントを築きました。普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さと魅力をご覧いただきたいと思います。
【オルメカ文明】
オルメカは、紀元前1500年頃から紀元前後にかけ、湾岸部のベラクルス州南部からタバスコ州西部にかけて栄えた、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明です。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明で、その後のメソアメリカ文明へと綿々と繋がっていく、「母なる文明」と呼ばれています。
巨大な石の彫刻、土造りのピラミッド神殿などを作る建築技術、ヒスイなどの玉石を精緻に加工する技術をもっていて、その後のメソアメリカ諸文化の発展を大きく方向づけていきます。
オルテカ文明から「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」に通底する「トウモロコシ」「天体と暦」「球技」「人身供犠」の4つのキーワードを解説します。
オルテカ文明から、儀礼と結びついた王権や多くの神々の概念など、その後のメソアメリカ諸文化に様々な要素が受け継がれました。この幼児像の顔には人間とジャガーの特徴が併せて表現されています。ジャガーは、アメリカ大陸最大のネコ科の動物で王や戦士の権威の象徴として、神秘的な力を持つものとして崇拝され、その一方、ジャガーが神への生贄として捧げられたり、その美しい毛皮のために狩られたりもしました。
マヤの王侯貴族にとっては、本作に表されているように厚い防具を着け、大きなゴムのボールを、おもに腰を使って打つ球技が特に重要でした。マヤの王自らが球技をしている姿を現した石彫が数多く残っていますが、ボールの重さはかなりのものであったと考えられ、防具を着けていても大けがをすることがあったようです。球技は戦争や人身供犠とも深く繋がっていて、捕虜をボールに見立てて打ち殺す場面の石彫もあります。
パカル王が築いた「忘れられた神殿」の柱を覆った碑文の一部。左側の文字が数字の10、右側の文字が暦の20年の単位であるカトゥン(古典期マヤ語ウィニクハップ)を表します。647年3月5日に対応する長期暦の一部。マヤ人にとって、数字や暦は単に実用的な道具でなく、宗教的な意味をもったものであります。
頭蓋骨を胴体から切り離し、前頭に毛を挿し込み、目のくぼみに貝殻と黄鉄鉱を嵌めたマスク。死者の世界の主であるミクトランテクトリ神を表わします。
【テオティワカン文明 神々の都】
テオティワカンは海抜2,300mのメキシコ中央高原にある都市遺跡。
死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と建ち並んでいました。太陽や月のピラミッドはまさに象徴的な存在です。スペイン侵攻以前から話されていたナワトル語で「神々の座所」を意味するテオティワカンは、当時の民族や言語も未解明な謎の多い文明ですが、美術や建築様式はその後も継承されます。
本章では、近年の発掘調査や研究成果をもとに、巨大な計画都市の全貌を明らかにします。
太陽のピラミッド
200年頃建造。アメリカ大陸最大級のピラミッドで、底辺223m四方、高さ64m。「火」「戦い」「天空」を象徴するとされます。
死のディスク石彫
メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。この作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表すと考えられています。復元すると直径1.5mもなる大型の石彫です。
月のピラミッドと死者の大通り
100年頃より増築を繰り返し、400年頃には底辺147×130m、高さ43mに。「水」「豊穣」「台地」を象徴するとされます。
火と老神石彫 テオティワカン文明 450~550年 テオティワカン、太陽のピラミッド出土 安山岩、彩色 高さ60㎝、幅66㎝ テイティワカン考古学ゾーン
小石や貝殻、黄鉄鉱を木製の人形(ひとがた)土台の上に貼りつけて磨いたモザイク石像。生贄12体が出土した埋葬墓6の中心部から見つかりました。
ピラミッドの中心部で発見された埋葬墓3の主要な副葬品のひとつ。胡坐は高貴な人物にのみ許されたことから、生贄に関わる王族を示すものかと思われます。
羽毛の蛇神シパクトリ神の頭飾りはともに王権の象徴でした。
これら巨大な石彫で飾られた羽毛の蛇のピラミッドは、全体が王の権力や冠に込めた権威を表わす。メソアメリカで最初の大モニュメントだったのです。
発掘者により「奇抜なアヒル」(Pato Loco)と名付けられた、貝などの華美な装飾を持つ鳥の容器。メキシコ湾岸部との交易を担った貝商人にかかわる副葬品かもしれません。
嵐の神を描いた壁画。背負い籠と右手にトウモロコシを持つ。テオティワカンでは、多くの建物が赤を中心とした多彩色の壁画で飾られ、都市空間を彩っていました。
【マヤ文明 都市国家の興亡】
マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立しました。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成しました。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させました。
本章では、マヤの文化的発展と王朝史に注目します。特に王朝美術の傑作と名が高い「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品を本邦初公開されています。
金星の基壇と呼ばれる建物飾っていた彫刻。左側が金星、右側が太陽暦の年を表わしており、縦の棒が数字の5を、8つの丸印が8を意味します。584日の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年にあたることを示すと考えられます。
大きな口を開けた蛇の冠を被り、壮麗な服を着て,円形の王座か椅子に座っている。このような豪奢な服装は、大きな祭祀の際の装いです。王ないしそれに次ぐ高位の男性を表わした土偶と思われます。
太陽の神殿の祠にあった石板。中央の戦士はパカル王の息子キニチ・カン・バフラムとする説が強い。テオティワカンの嵐の神を表わす胸のペンダントなど壮麗な装いは、トニナに勝利した祝いの祭礼における姿と考えられます。
鹿の頭飾りを被った狩人が吹き矢で狩りをする様子や、仕留めた鹿を背負って運ぶ様子が描かれています。鹿の頭飾りは狩猟の際の擬装のほか、儀礼や戦争の際に支配者層が被ることもあり、何らかの象徴的な意味をもつと考えられます。
キニチ・クック・バフラムの即位20周年に彫られた碑文。西暦654年にパカル王が建てた宮殿の近くで見つかり、歴代の王が記されます。マヤの人々は優れた書跡を芸術品として愛好したが、本作はその最高峰に位置します。
パカル王墓内で見つかり、パカル王の姿とする説が強い。頭頂部で髪を結わえ、前方に垂らした形は、トウモロコシ神の姿を真似たものと考えられます。
マヤの「赤の女王(レイナ・ロハ)、奇跡の来日!
マヤの代表的な都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王(在位615~683)の妃とされるのが、赤い辰砂の覆われて見つかった通称「赤の女王」(スペイン語で「レイナ・ロハ」)です。
その墓の出土品を、メキシコ国内とアメリカ以外で初めて公開されます。
赤の女王墓をイメージした展示空間
「赤の女王」をイメージした真っ赤なマネキンに、マスクや冠に胸飾りなど、女王の装飾品を展示します。墓室を模した展示空には、壁画をもとにした生前の女王の姿も。会場では、「赤の女王」の石棺をまさに開けようとする瞬間や装飾品の復元家庭、そしてパレンケの美しい建造物ほか、臨場感あふれる映像をお楽しみいただけます。
赤の女王は、一体誰なのか。パカル王墓の隣に葬られたことから、王と関係の深い人物であると思われます。真相に迫るため、様々な調査が行われました。骨のX線撮影と組織検査から体格や食生活、病理と死亡推定年齢が明らかになりました。DNA分析から王と血縁関係にないことがわかり、母ではなく妃である可能性が高まりました。頭蓋骨から顔の復元を試みた結果、石彫に描かれた王妃の特徴と多くの一致がみられるという説もあります。碑文から名前、出身地、家族、死亡日など王妃の情報が読み取れます。さらなる確証を得るため、息子たちと孫、ひ孫の墓の発見が待たれます。
[名前]
イシュ・ツァクブ・アハウ
発見時、真っ赤な辰砂覆われていたことから「赤の女王」と通称される。
[出身地]
ウシュ・テ・クフ
場所は特定できていない。(おそらくパレンケの西にある小都市)
[配偶者]
キニチ・ハナーブ・パカル
[息子]
キニチ・カン・バフラム
キニチ・カン・ホイ・チタム
[孫]
キニチ・アフカル・モ・ナアフブ
[ひ孫]
キニチ・クック・バフラム
[身長]
154㎝
[死亡]
672年11月16日
死亡推定年齢50~60歳。
骨粗鬆症を患い、ほとんど歩けない状態だったとみられる
チチェン・イツァ マヤ北部の国際都市
腹の上に皿状のものを持つ石像であり、そこに神への捧げ物を置いたと解釈されています
。チチェン・イツァとトゥーラから多く見つかり、両都市の関係を示す。その後、チャクモール像はアステカにも受け継がれます。
【左】チチェン・イツァのアトランティス像 マヤ文明 900~1100年 チチェン・イツァ、戦士の神殿出土 石灰岩 高さ85.5㎝、幅47.5㎝ メキシコ国立人類学博物館
王座の下に置かれた、両手で王座と王を支える人物像。チチェン・イツァでは身なりが異なる複数の像があり、宮廷の様々な人物を表わすとみられます。
【右】 トゥーラのアトランティス像 トルテカ文明 900~1100年 トゥーラ、建造物B出土 玄武岩、彩色 高さ80㎝、幅41㎝ メキシコ国立人類学博物館
トゥーラでもアトランティス像は王座の支えだったと考えらますが、宮廷人の姿をとるチチェン・イツァの物と異なり、本作は防具を着けた戦士を表わしています。
チチェン・イツァのグラン(大きな)・セノーテには多くの供物が投げ込まれました。本作はペンダント中央にマヤ語で風を意味し、かつ人の息、生命力、風の神、雨の神なども象徴するT字型の切り込み(イクの文字)があります。
チチェン・イツァのグラン・セノーテ
カルスト台地の陥没穴に地下水が溜まった天然の泉をセノーテと呼びます。生贄や供物も捧げられました。本展では、チチェン・イツァのグラン・セノーテ出土の供物を紹介します。
【アステカ文明 テノチティトランの大神殿】
アステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明です。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にはウィツィロポチトッリ神とトラロク神が祀られていました。アステカも他の文明の伝統を継承し、王や貴族などを中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行われました。本章ではアステカの優れた彫刻作品とともに、近年テンプッロ・マヨールから発見された金製品の数々をご紹介します。
大国への道
テンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった等身大とみられる戦士の像。王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、もしくは戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表わしているといわれます。
スペイン征服後、先住民が記録した絵文書。ここにはテノチティトラン創設の場面が描かれている。岩に生えたウチワサボテンの上に鷲がとまる図像は、のちに訪れる王国の繁栄と共に、太陽神ウィツィロポチトリを表わしています。
雨神トラロクは太陽神ウィツィロポチトリと共に大神殿に祀られ、多くの祈りや供物、生贄が捧げられました。水を貯える壺にトラロク神の装飾があり。雨や豊穣の願いが込められたものと考えられます。
火打ち石の表面に、青緑色のトルコ石のモザイクや黄鉄鉱の装飾があります。シウコアトルとは「火の蛇」という意味で、太陽神ウィツィロポチトリなどの神々が手にする武器でした。
貴金属があらゆるところでみられる南米アンデス文明と比較すると、メソアメリカ文明では金製品は比較的珍しいものです。
最近の発掘調査で、神への捧げものとして生命力の象徴である心臓や、神々にまつわるモティーフが用いられた金製品が見つかっています。
マスク テオティワカン文明 200~550年 テンプロ・マヨール、埋納石室82出土 貝、黒曜石、蛇紋岩 高さ22.5㎝、幅21.5㎝ テンプロ・マヨール博物館
耳飾り アステカ文明 1469~81年 テンプロ・マヨール、埋納石室82出土 緑色岩 (左)幅7.2㎝ (右)幅7.5㎝ テンプロ・マヨール博物館
テオティワカンの仮面に、メシーカ人が目や歯、耳飾りをつけるなど、手を加えたもの。彼らは過去の文明の遺物を掘り起こし、それらを魔術的な力をもつ聖なるものとみなし、大神殿に奉納しました。
風を意味し、生と豊穣を司る神。
カワウやペリカン、クイナなどの鳥の嘴の形に似た赤い口が特徴です。
椀状の部分に熱した炭を入れ、その上に樹脂を置き、香を焚いて用いました。柄や先端には、火の力の象徴として、芋虫と蝶があしらわれています。メキシコ中央部に多くみられる神官の道具です。
【上】鈴形ペンダント アステカ文明 1486~1502年 テンプロ・マヨール、埋葬石室167出土 金 各 高さ2㎝、幅0.9㎝ テンプロ・マヨール博物館
【下】耳飾り アステカ文明 1486~1502年 テンプロ・マヨール、埋納石室167出土 金 (左)高さ8.3㎝、幅4.2㎝ (右)高さ8.9㎝、幅4.2㎝ テンプロ・マヨール博物館
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【展示会概要】
展覧会名: 特別展「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」
会 期: 2024 年 2月 6 日(火)~ 5月 6日(月・振休)
開館時間: 10:00~17:00 金曜・土曜は20:00まで ※入場は閉館の 30分前まで
休館日 : 月曜日 ※2月12日(月・振休)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振休)は開館、2月13日(火)は休館
観覧料 :一般 2,100円(1,900円) 大学生 1,300円(1,100円) 高校生 900円(700円)
※( )は前売・団体料金。団体は 20 名様以上。団体鑑賞をご希望の場合は 1 か月前までにご連絡ください。
※前売券は、2月5日(月)まで販売
※中学生以下無料(要証明) ※大学生・高校生の方は証明できるものをご提示ください。
※心身に障がいのある方とその付添者1名無料(要証明)
※本料金で同時開催のコレクション展もご覧いただけます。
主 催:国立国際美術館、NHK大阪放送局、NHKエンタープライズ近畿、朝日新聞社
共 賛:NISSHA
協 力:アエロメヒコ航空、ダイキン工業現代美術振興財団
後 援:メキシコ大使館
企画協力: メキシコ文化省、メキシコ国立人類学歴史研究所
展覧会公式サイト:https://mexico2023.exhibit.jp/
展覧会公式X(旧 Twitter):@mexico2023_24
〚国立国際美術館〛
〒530‐0005 大阪府大阪市北区中之島4‐2‐55
TEL:06-6447-4680(代表)
国立国際美術館 HP:https://www.nmao.go.jp/
国立国際美術館公式X(旧 Twitter):@nmao.jp
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